の豊田エリーってこがかわいいなあ。。
一回ハーフの超かわいいこと付き合ってみたい。性格がぜんぜん合わなくても良いから。
政治について書く。
過日選挙があったのは承知のとおりで、いまや巷は政権交代の大号令に沸いていますが、僕にとっては折からなんとなく思っていたことを再認識する機会でした。
音楽家は政治や社会に関心を持つべきか、もしくは関わっているべきか、これは人それぞれの主観や生き方であって、どういうスタンスが音楽家の質の良し悪しを図るベクトルになるという話じゃないけど、どれだけ自信たっぷりにこれが自分の音楽だと言い放って満足顔をしていたとしても、自分の暮らす社会風土のもつ潜在的な支配力からは根本的には自由ではないと思っている。
たとえば毎日無意識に使う電車のつり革の質感、車のボンネットのデザイン、道路の舗装の表情、道路標識の色彩、建売住宅のパターン化された壁面パネルの印象、そういうすべての国土の風景が、そこに暮らす人々の無意識の視覚の基準になってくる。
そういうハードウェアの面もさることながら、もちろんテレビの存在は特に日本の場合は強力なパワーを持つし、表層的な基準というのはこの場合当然ながら人間の感性にも直接入り込んでくるものです。
西ヨーロッパには西ヨーロッパの、独特の「現代の」表情があり思考パターンを生み出している。
音楽には西側独特の「音」が流通する。
こういうことはベルギーに暮らして、いわゆる西側と言われる国々を周ったときに特に強く感じたことなんだけど、西側独特の感性というものが確実に存在する。
日本も例外ではなくて、結局これらの直接的なルーツは政治的な大きな流れのやりとりや、選択によって変えられてきているわけで、われわれはある意味でそれを受け入れる側でしかない。もちろん、そこに選挙だとか、というものがある。ただしこれもイベントでしかないと言ってしまえばそれまでだけど。
でもここまで大きい力を持っているものに対して、「だれがなっても同じなんじゃないの」とか、窪塚みたいに「似たようなジジイがいつまでも同じことやってる」とか暇そうにカッコつけた事言ってる場合じゃなく、思っている以上に重いことなんだと認識したほうが良いと思う。
とくに音楽をやるものにとっては、将来的な自分の音楽の「音」を作る一番おおもとの作業だという思いで、実際俺は投票に行った。
どうせ受け入れるしかできないなら、せめて熟考するという作業を一人ひとりが行うっていうのは、結果としてフェアな関係を作り上げることに繋がると思うんですがいかがでしょうか。